【今月の言葉】

今月の言葉の作者 大隈重信は1838年、佐賀藩の砲術長を務める父・信保の長男として生まれました。6歳になった大隈は藩校・弘道館に入学します。そして明治政府に出仕、財政改革においても素晴らしい活躍を見せ、大隈は実力によって閣僚ポストである参議に就任します。そして1873年には参議員兼大蔵省長官となり、廃藩置県、国立銀行条例の制定など、近代国家をつくりあげるために必要な改革をすすめていったのです。さらに西洋諸国と肩を並べるには国民の啓蒙が必要であると考え、東京専門学校(現早稲田大学)を設立しています。

「施して 報いを 願わず 受けて 恩を 忘れず」良い言葉ですね。

この様な大隈重信を育て上げた母、大隈三井子は愛情をもって重信を育てあげました。

1910(明治43)年、学生時代から大隈邸に出入りを許されていた記者松村謙三はこの様な記事を執筆している。

東海道旅行に随行した際、大隈重信の一行は岡崎の大樹寺に立ち寄った。本堂の仏像に軽く頭を下げた大隈は、ふと本堂の脇にある小さな掛物を見るや、何か電気にでも打たれたような様子となった。そしてやおら立ち上がった大隈が、直立不動の姿勢をとって、その掛物に向かって最敬礼をした。不思議に思った松村が、「どういうわけ

ですか」と尋ねると、大隈はこう答えた。

「わしは子供の頃、いたずら者で毎日毎日けんかばかり、生傷の絶える間がなかった。母親というのは、非常に仏法の信仰が厚く、そんなわしを心配して、お前、これから朝起きたら顔を洗ってすぐ手のひらへ「南無阿弥陀仏」と書け、そしてけんかを始めるときには「南無阿弥陀仏」を十ぺん繰り返し唱えて、なおかつ敵愾心(てきがいしん)が消えないなら、そのとき、はじめてけんかをせい、と教えられた。

それで、わしも毎朝起きると手のひらに「南無阿弥陀仏」と書いた。けんかを始めるときには「南無阿弥陀仏」を十ぺん繰り返すと、たいていは、その敵愾心(てきがいしん)がなくなる。しかるに、わしは母親に一生心配ばかりかけておった。まだ健在でおった母親は、何とかわしの安全を守りたいという一念から、自分で蓮の糸をつむいで一反の織物をつくり、それを四十八に切って、子安観音の絵を描き、全国の主な寺四十八寺へ納めた。いま、あそこにあったのは、母親のその幅(掛軸)のひとつだ。

それで、わしは昔を思い出して、思わず最敬礼をしたんである。」

重信の母大隈三井子は、重信が42歳の厄年(明治12年)のとき、その厄除け祈願のために、みずからつむいだ蓮の糸で京都西陣の伊達弥助に織らせた。これに育児観音を描かせたものを、全国の有名な四十八の寺へ奉納したのである。

若山牧水は親の想いを『 若竹の 伸びゆくごとく こども達よ 真直に伸ばせ 身をたましひを 』若い竹が伸びていくように子供たちよ、体を魂を真っ直ぐに伸ばせ。と詠んでいます。

怒りを覚えるときは脳内では興奮物質のドーパミンが激しく分泌されますが

6秒で落ち着きはじめるそうです。ですからそこで「南無阿弥陀仏」とお念仏を10回唱えればその間に心が落ち着いてくるのです。皆さんもお試し下さいませ。