【今月の言葉】

 今月の言葉は、良く知られており皆さんの中にも目にされた方も多くいらっしゃる事と思います。「口が にごれば愚痴(ぐち)となり意志が にごれば意地となり、徳が にごれば毒となる」「くち」が「ぐち」、「いし」が「いじ」、「とく」が「どく」と言葉が濁ってしまうだけで、全く正反対の言葉になってしまうのですね。ここでいう「濁り」と

は、貪(とん)=むさぼり求める心瞋(じん)=怒りにまかせた憎悪の心癡()=ものの道理がわからぬ愚かさに侵された煩悩のことを言います。これら三つの煩悩は、三毒といわれています。毒と表現されているように強い煩悩であり、しかも苦悩の根本的な原因となるものです。煩悩に支配されていると、邪念に振り回され、真実を見極めることができなくなってきます。煩悩が本来の心を濁らせているのです。濁った心ではありのままを見ることはできません。その結果、迷いや判断の誤りとなり、苦悩となってきます。心を静めて、「濁りのない心」を保つ必要があります。

ではこの「濁りのテンテン」っていったい何なのでしょう?

そう、それは「俺がやってやってるのに」とか「私が言ってあげてるんだから」とかいう「俺が俺が」「私が私が」の「が」。つまり「わがまま」の「我」が「テンテン」になって心にくっつくと、口も愚痴に、意志も意地に、徳も毒になってしまうのです。

毎日の生活の中で、気づかぬ間に心のどこかに「濁りのテンテン」がついていないか、時には省みてみることも必要でしょう。

日常の生活の中で「あの方に話したことが愚痴になっていないだろうか」

「自分では良いと思っているけど、意地になっていないだろうか」

「いつの間にか毒を撒いているようなことをしていないだろうか」

と日々生活の中に懺悔のお念仏があると 気づきの心が育つのではないでしょうか。

 

「脚下照顧」という教えは仏教用語です。鎌倉時代の禅僧である孤峰覚明(こほう かくみょう)が、弟子のひとりに禅の極意を尋ねられた際に答えた、「足元を照らして顧みよ」という言葉が元になっています。